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Column

2つの同窓会

 今日は4月30日でGWが始まって四日目である。一応、平日であるのだが、連休を確保できた人は10連休が可能なので中日に近い。今日、都心に出かける予定だが雨が少々心配である。
 昨日は深沢図書館に注文した書籍「もっと知りたい本阿弥光悦」受け取りに行き、すぐに読み始めた。先週、上梓したばかりの「光悦はばたく」の最終巻を書くために借りてきたのである。
 何をいまさらと思われる方もいるかもしれないが、光悦と2年近く向き合ってきたのだが正直に言うとこの光悦氏のイメージが描けていないのである。というのはこれまでの4巻は光悦がはばたく際の助走のようなもので、まだ光悦について何も書いていないからである。
先々月に観に行った「本阿弥光悦の大宇宙」もそうなのだが光悦はとらえどころがない人物であることは確かなのだ。ただ、彼について以前、書いてきたような、いやな人物ではなさそうではあるがそれにしてもあまりにも清廉潔癖なのも?と思いつつ彼に関する、断片を拾い集め、その人となりを思い描いている最中と言えば言えるであろう。

 今、そうかなと思うのはあまりにも清廉潔癖な聖人のような人物と言う光悦像である。造られすぎのきらいが匂うのである・・・これも松本清張さんの呪縛かな?人は生まれつき清廉潔癖な人もいるものなのだ!?
 たしかにあれだけの業績を知ると悪行などはしておれない気がしないではない。そんなことをする暇もないはずだ。ただ、意外だったのは前妻を失った後に再婚しており、その女性との間に娘をもうけたことである。娘は短命だったものの31年生きたのであった。その娘は父の光悦が亡くなった後、金工師の乗春・忠英と結婚している。この結婚は本阿弥家の定石通りの親戚内結婚で、血の純潔を守るという家系だからである。いずれにしてもこの時代の家系譜は一つだけを見ても真実が分からない。そして、現実的に想像力を働かせないととんだ目に合う。
 本来、客観的事実の証のような家系譜でさえこうなのだから、それ以外の資料などは疑ってかからないととんだ目にあうだろう。ただ、何となく思うのは光悦は意外とまじめで、素直な人だった気がしてきた。
したがって、ほぼ、同時期に生まれた本家の九代光徳とは密な交流があったようだが、あの徳川家康にも遠慮のない物言いで家康から毛嫌いされた光徳とは当時、いわば本阿弥家の顔としての両雄であったが、何となく光悦が折れて本家の光徳に気を遣っている構図が見て取れるのである。そもそも、そういうことが自然とできるのが光悦だったようで、よく言えば大人であったのだろう。
 いずれにしても光悦は自分が手を下して創造することができれば他は何もいらないという人だったのではないか?考えてみれば本来、偉大な芸術家の系列に入るような人である。 
ミケランジェロやダ・ビンチもそうであるし、横山大観もそうであるからだ。つまり、何かを創作していることが楽しくて仕方がない、そのような人なのであろう。物理的にもそうでなければあれだけのモノを創出できなかったろう。

 ここひと月で思い浮かぶことは中学校の同窓会が開かれたことだ喜寿同窓会と銘打った、77歳の同窓会で50人位集まったが・・・正直この同窓会は今回を最後にしようと思った。まあ、取り立てて会いたい同窓もいないし、先生方はすべて鬼籍に入られたからである。それ以上に会の運営がずさんで不愉快な会になってしまっているからだ。まあ、それでも公立中学校の同窓会としては良く続いたと思う。と言うのは例えば大学のゼミや学部の同窓会と違い参加者同士に共通するものが同じ年度に生まれて、同じ学区に住んでいただけでそのほかの共通項が何もないからである。
 ただ、当人と確認できるクラスメートが元気であるとの確認だけで、何ら話すことがないのがこの同窓会の限界を如実に物語っている。

 そして今日(4月30日)これからもう一つの同窓会のために青山に出かける。青山学院の現役理事長とK氏と会うのである。目的は青山キャンパスにできた最先端の図書館を見学に行き、その後に会食をするのだ。もしかするとこれがこの学校に出かける最後になると思われる。理事長が退任されたらもう来ることはないと思われるからである。考えてみればこちらの同窓会は期待が大きいがどうだろうか?
                               2024年4月30日

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